2020/10/06 11:22

私が中学・高校と通った学校は、明治創立のかつては和裁で有名な学校で、高校1年生の時に、
「週1回の授業で1年かけて浴衣を作る」という和裁の授業がありました。
料理はもちろん、裁縫すらろくにしたことも習ったこともなかった私でしたが、仲の良い友達と
一緒に、「和裁」を選択しました。

一反の生地を採寸、裁断するところから始まった授業。正直言って、その時習ったであろう、
縫い方や細かい工程を何一つ思い出せないのですが、今でも覚えているのが、私の縫い目を見た
和裁の先生の一言。
「あなたって本当に不器用ねぇ・・・。」

事実自分でもわかっていたので、特にショックでもトラウマにもなっていませんが、そのくらい
私は手先が器用とは決してお世辞にも言えなかったのです。

そんな私ですが、高校を出てから自然と導かれるように料理の道に進み、多くの人に認められる
まで腕を上げ、国内外の工芸品収集を始めると同時に、自ら創作活動を始めました。
料理でもなんでそうなのですが、私は1度も専門的な教育を受けたことも、誰かから手ほどきを
受けたこともなく、全てが探求心と勘を基にした独学です。とりあえず基礎と背景をインターネット
や本から学び、その後はただ実践あるのみです。

料理以外の本格的な手仕事として、まず一番初めに私が始めたのが、「こぎん刺し」でした。
初めてこぎん刺しを見たときに、その緻密な美しさに心が奪われ、少しずつ小物を買い始めたの
ですが、決して安いものではないので、自分の身の丈にあったものを気軽に買うには選択肢が
限られていました。
ある日、「自分でやってみたらどうだろう?」という考えが浮かび、「こぎん刺しキット」なる
ものを購入しました。



初めてのこぎん刺しは、コースター大の生地に簡単な模様を刺すのにも苦戦し、数時間を
要しました。それでも、だんだんと模様が生地に浮かび上がってくる工程と、出来上がった
時の達成感がたまらなく嬉しく、その時から「こぎん刺し」は私の生活の一部となり、
さらにそこから、刺繍の域を超え、私の手仕事の幅がどんどんと広がっていきました。


黒沢明監督の映画、「夢」の中の「水車のある村」で、鮮やかな刺し子の衣装を纏う人々の
パレードのシーンを見て感銘を受け、作ったのがこの写真の前掛け。
上の写真の手持ちバッグ達もですが、基本的にミシンを持たない・使わない私は、当然
仕立ても手縫いとなります。

そのおかげで、裁縫が上達したと思っています。
(その割には、荒さが目立ちますが・・・・)


コースターから胡桃ボタンに始まり、シンプルな形のバッグに作りにも慣れると、
そのあとは自分が欲しいものを、好きな形とデザインで作るようになりました。

クラッチバッグ、デジカメケース、携帯ケース・・・いろいろ作りました。
だんだんと選ぶ生地にもこだわりはじめたので、本来刺す目が数えやすい編み目の
大きい麻やコットン以外でも、目がとても細かいものにまで刺し始めました。


しまいには靴にまで・・・・。

「同じものをもう一つ作って」と言われても、「うーーん・・・」と考えてしまうもの
ばかりですが、人に頼まれれば何かしら作ったりもしています。
でも、やはりほとんど自分のためのものが多いです。
それなりに時間と糸や生地を使うので、値段をつけるのが難しいのです・・・。


最近は、インドの生地にこぎんを刺したりもしています。

下の写真はつい先週仕上げた、今月誕生日を迎える甥のために作ったベスト。


縁のバイヤステープには、インドで買って何度か着て今は着なくなった、ブロックプリントの
クルタを切って使いました。

正直いって、私のこぎん刺しや仕立ての腕は、本業にしている方たちと比べたらとても
お粗末なものなのですが、あまりくくりに囚われずに、とにかく目で楽しく、愛情を
持って長く日常で使えるものを作り続けていこうと思っています。